アラフォーでニートになりました。

アラフォーで会社を辞めさせられ、未来が見えないニート(という名の自営業)が奮闘したりしなかったりするブログです。

家と土地が売れていくのを、目の当たりにしている。

家と土地のイメージ
祖父母と共に暮らしてきた家が、もうすぐなくなる。

3.11の頃は、私も住んでいた家だ。

祖母が亡くなり、祖父がグループホームに入ったことで住む人がいなくなった祖父母の家。

結局無人のかつての我が家は、ネズミしか住んでいない家になってしまっていた。

二転三転する祖父の意向に振り回されながらも、最終的に家と土地を売るという方向に。

舵を切ったのは母だ。

お陰で私は難しい手続きなどには関わらずに済んだが、色々と協力したり手伝わねばならないことも多かった。

3月・4月は区切りになる物事が多いのもあってか、買い手はすぐに見付かった。駅から遠いからどうだろうかと思っていたけれど、やはり車社会か。

まだ残っている工事や手続きはあるけれど、ひとまずほっとしながらも寂寥(せきりょう)感を覚えながら、流れを見守っている。

 祖父が勝手に建てた家

ほぼ取り壊されることになるだろう古い方の家だが、この家がどうなるかにもひと悶着もふた悶着もあった。

始めは敷地内の、畑だったところに新しい家を建てて移り住んでから取り壊すという話だった。

母と私はなるべく低い予算で家を建てられる業者を探していたのだが、祖父はその最中に勝手に設計士に頼んでしまった。

しかも、部屋数や広さ、設備などに不満の残る形の家だ。

それでも仕方ないと、最低限の希望を盛り込んでは貰ったが、実際に建てられたら扉の仕様が違うものだったり、戸棚の立て付けが適当だったりと微妙な部分ばかりが露呈してしまった。

直すように言っても直して貰えなかったりして腹が立ったが、もう後の祭りだ。

それに、体の悪い祖父がひとりで家具を運ぼうとして真新しい床などに傷が付いてしまったのも、嫌な気分になった。

手伝ってくれる人だっていたのに、どうして自分ひとりでやろうとするのか。

 

そうして不満だらけの新しい家は、私に押し付けられた。

まあ、そういう訳で私は住む家だけはあるのだ。

本当に不満しかなくて、ずっと資金さえあれば遠くへ行きたいと思っていた。

家族の介護なんて知らん、押し付けるなと出ていくことが出来たら、私の人生はもっと違っていたのかも知れない。

 

新しい家の話に戻る。

正直その予算でなら、もっと広くていい家も建てられたと思う。

祖父が人の話を聞かずになんでも勝手にやってしまう人間だとは思っていたが、人に相談していることまで勝手に変えてしまうとは。

呆れ果ててしまった。

 

新しい家には一足先に私が住むようになり、祖父母も後からベッドを移動してきた。

…狭い部屋に2つもベッドを並べるのは窮屈だろうに。

結局、祖母の方が新しい家に慣れず、前の家に戻ってしまった。

お陰で、古い家を取り壊してその分の土地を売る計画は頓挫してしまった。

暴君だった祖父

祖父の暴君っぷりは昔からで、母からもよく聞いていた。

直接暴力は振るわないが、典型的なモラハラ旦那だ。

唯一、祖母の趣味や社会的な活動を制限しなかった部分はまだマシだと思いながらも、ろくでなしだなぁと思うしかないことも多かった。

祖母は、よくこんなのとの暮らしを何十年も我慢したな…

成長してから一緒に住んでみて、何度もそう思った。

 

正直なところ、祖母が晩年体を壊して介護認定される羽目になったのも、祖父のせいだと思っている。

毎日夕飯時になると居間から祖父の怒鳴り声がするので、顔を合わせたくなかったし一緒に食事を摂るのも嫌だった。

祖母が入院中はそれもなくて多少安心していたが、顔を合わせる度に自己中心的なことを言ってくるのでよくケンカになっていた。

その後祖母も回復して家に戻ってきたものの、認知症の診断が出ていて家事をこなせる状態でもない。

週末を除いてヘルパーさんが入り、週末の食事などは私が用意するようになっていたし、祖父にも身の回りのことは自分でして貰うようになっていた…筈だった。

けれど、祖父は祖母が帰ってくるとそれをやらせようとする。当然できなくて祖父が怒鳴るという、地獄が展開されていて私も限界だった。

 

 

不満だらけの家でも、新しい逃げ場が出来た私はさっさとそちらに移り住んだ。

しかし怒鳴り声は隣の家にいても聞こえてきた…

そのせいか、もう祖父が家を離れてそれなりの月日が経つというのに、ふとした時まだ怒鳴り声が聞こえるような気がする。

PSTDかな?

もう滅多に姿を見ることもないのに、まだ祖父の呪縛が解けていないようだ…

祖父の方が先に死ぬと思っていたのに

結構前から心臓が悪く、そのために定期的に遠くの病院にも通っていた祖父。

足も引きずるようになっていたし、片手が痺れるなどの症状もあったようだ。

それでも盆栽を弄ったり畑を作ったりすることをやめず、どんなに諫められても続けようとした。

認知症で腰の曲がった祖母にまで手伝わせようとして、上手くいかなくてまた怒鳴るので叱ったことも何度もあったのに、全く理解しない。

そして、自分が悪いことをしているという自覚もないのだ。

全て自分が正しい、言うことを聞かない、思い通りにいかない相手は怒鳴る。

それでいて外面はよかったのだから、とんだDV野郎だったな(まだ生きている)

 

前述の通り、祖父は心臓が悪くいつ欠陥がはねてしまってもおかしくないと言われていた。

私は祖母よりも祖父の方が先に死ぬのだろうなと思っていたが、それは祖母が転んで骨折し、入院してからあっという間に亡くなってしまったことで覆されてしまった。

そもそも、祖父がもっと祖母を思い遣って助け合うような人だったらこうはならなかっただろうか…

考えても詮無いことながら、思わずにはいられない。

体は弱ってきているものの、祖父はまだ召されてはいない。

憎まれっ子世に憚る、ということなのだろうか。

 

ともあれ、グループホームにいればスタッフさんが無茶をさせないし、余計なこともしないだろう。

外面がいいし、他の入居者とトラブルを起こすこともなさそうだ。

そういう部分では、安心している。

難儀した古い家の片付け

年を取ったからなのか血筋か、祖父母の家はモノで溢れていた。

結局業者を頼んで多くを処分して貰ったが、処分せずあれもこれも取っておきたいという祖父のわがままで、かつて祖父母が入る筈だった新居の狭い部屋が埋まってしまった。

祖父はいずれグループホームから戻ってくるつもりでいるようだが、住むところなんてないよ?

まあ、そもそも許可が下りないだろうけど…

前の家に残っていた自分の私物も、ほとんどを処分して貰いました。

実は新居に移ってから、かれこれ3年は経っているのです。

それだけ経って使っていないものは、もう要らないよねと。

あと、ネズミにかじられているものもありました…

スッキリしたのか、しないのか

物が運び出された家は、がらんとしていました。

結構広かったんだなぁ…

でも、これくらい広い家から新しい方の狭い家に引っ越そうなんて、無謀だよなぁ…とも思いました。

荷物が入らない。

家の周辺も余計なものが取り払われて、すっきりしました。

…新居の方の部屋は物置になっちゃったけどね。

これ、ほんとどうすんのって感じ。

それと祖母は日本舞踊をやっていたので、着物が沢山残っていました。

母は使わないそうなのでとりあえず貰い受けることに。

縫い目を解いて手芸で何か作るかーと思っています。

一着解くのに4~5時間かかるみたいですが…全部やったらどれくらいの時間になるかな(汗)

 

家の片付けが終わる頃には、住み着いていたネズミたちもどこかへいってしまったようです。

あの家に住んでいる頃は、夜中に天井を走り回っている物音をよく聞いたなぁ。

また新しい棲み処を探すのかな…

意外と早くついた買い手

先日、うちの土地を検討している方と話が進んでいるという工務店の方が、挨拶に来ました。

周りの環境などもリサーチされている模様。小さい子がいるご家庭らしく、それなら丁度いいんじゃないかとお話しました。

ここなら小学校も診療所もコンビニも徒歩圏内だし、住宅街の中に小さいけれど公園もあって、休みの日や放課後に遊んでいる子供も結構います。

車なら、スーパーにもすぐ行けますしね。

ご家族の新しいお家が、住み易く楽しく暮らせる環境になればいいな。

 

あの家はもう人が住める状態じゃない(雨漏りしてるし)ので、取り壊しは必至です。

私の人生の中で多くの時間を過ごしてきた場所なので、なくなってしまうのは寂しい。

でもそれが時の流れでもあるんですよね。

長いこと暮らしを守ってくれたことに感謝しながら、取り壊しを見守ろうと思っています。