アラフォーでニートになりました。

アラフォーで会社を辞めさせられ、未来が見えないニート(という名の自営業)が奮闘したりしなかったりするブログです。

グラブルイベント「THE MAYDAY」でどうして一番最後にサメに食われた筈のルシオが最後尾にいたのか、という話

大体いつもの光パ

大体いつもの光パ

実はとある件で燃えてるの、前回のグラブル関係記事を書くために調べるまで知らなかったんですが…

 コメントくださったサンダルフォン好きな方に長めのレスをしたためたので、よかったら見てください。

www.arafoneet.com

なにやら、一部のファンの方からは非常に不興を買ってしまったらしい、ルシオの「排泄物扱い」なのですが…

うーん、なかなか難しいところですよね。

シナリオがシナリオで、みんなちょっとお馬鹿になってるノリのところでの展開ですけども、やっぱりデリケートな方には厳しかったのかなぁ…と。

 

ふと振り返ってみると、私はあの場面で別のことに気を取られていたので、そこまでルシオの扱いについて深刻に考えていなかったのかなと気が付いた(そして見た範囲ではそれに言及している人がいなかった)ので、また記事をしたためてみようかなと思った次第です。

 

ちなみにこのブログを書いている私自身は、スタートダッシュのアレでルシオを取って今も光パのスタメンにしているくらいはルシオが好きな感じの人(女)ということは前提にして頂ければと思います。

 ルシオ、なんでそんな後ろにおるん…?

ブルース(巨大サメ)が人を呑み込んだ順は、船頭→アズイス→ルシオだった訳ですが、ブルースを酔わせたり、サリエルが物理的に引っ張り出したり(以下略)で出てきた順はアズイス→船頭→ルシオでした。

ここで「あれ?」となったのが、記事のタイトルな訳で「最後に呑まれたのになんで最後尾におるん?」ってなったのですよ。

 

で、すぐ理解できる解釈としては、サメの腹の中で先に呑まれた二人を守るために場所を入れ替えたということなんでしょうね。

よくよく考えれば(考えなくても)ルシオってその気になれば自力で出られるというか、どこにでも移動できる筈なので…

それをあえてやらず、主人公たちが助けに来るのを待っていたというのはめちゃくちゃ余裕を感じさせます。

傍観者に徹するのはやめると言いつつも、つい裏方に回ってしまうのだな…と思ったのはとりあえずとして、人間から見たら呆れるほどの悠長さです。

いわゆる、暇を持て余した神々の遊びって感じですね。

B級映画とギャグのノリと色々と難しいもの

今回のイベント、私はいつもの狂気を含んだグラブルのギャグノリイベントだなと思って楽しんでいたのですが、ノリはともかくキャラの扱いで嫌な思いをしてしまった人にどう説いてもダメなものはダメ、というのはまあそれも仕方なかろうと思うのです。

化け物に襲われる系のB級映画だと、美男美女がこういう目に遭うのはセオリーな訳ですが、そういう「一部で通じる常識」みたいなものを聞いても「知るか!」ってなっちゃうのもね。

個人的には、それで全く動じずに悠々としているルシオが流石すぎる…という感じだったのですが。

 

今回の扱いがダメだった、許せなかったという人は、グラブルの運営さんにお問い合わせから意見を送るといいと思います。

(mobageとGREEは直接マイページから送る形になるようです)

contact.granbluefantasy.jp

グラブル運営さん、ゲームやイベントの感想を送るととても喜んでくれますし返信も丁寧なので、真面目な意見には真摯に返してくださると思いますよ。

 

ただね、シナリオやキャラの言動をありのまま受け止めた人からの感想や意見はいいと思うのですが、ツイートなどを見ていると…えっ、と思うものもありまして。

曲解せずにありのまま読み取るのは難しい?

公式が発しているのとは違う解釈や考え方から物事を捉えて、本当はそうじゃないのに「こうだ!」と受け止めて怒っている方や嫌な思いをされている方もおられるように感じました。

そういった方は、プレイヤー全体から見ても多くはないのでしょうが…

 

Twitterにもツイートを曲解したり、一部の言葉尻だけに固執してケンカ腰になったりする人がいるように、そのままの言葉を真っ直ぐに読み取れない人というのが一定数いるのかなと考えてしまいます。

 

自分の想像や公式とは異なる考えも、二次創作的なものもローカルなエリアでならいいでしょうが、公式と同じ土俵に持ってきてしまうと要らぬ軋轢を生んでしまいますね。

そういった公式の枠外の思想も、ご本人が楽しく幸せに過ごせるならそれに越したことはないです。

ただ、公式が出したものと祖語を生じさせるものだと不幸な思いをすることになるのではないかなと思ってしまいます。

 

サンダルフォンにしても、変わったとか変わってないとか色々議論があるようですが、根っこの部分は変わっていないと思うんですよね。

精神的に幼い部分があって、相手を顔で判断するとか視野が狭くなりがちだったりわがままな部分もあると。

だけどシナリオの展開によって、それも少しずつ成長や変化を見せている、みたいな感じですかね。

色々と言う人もいますが、そういう部分はちゃんと描かれていると受け取れました。

少なくとも私は。

 

もしかしたら、そう感じるのは私がサンダルフォンに対してあまり興味がないからなのかも知れません。

好悪に関わらず、見ている距離が違うとまた、別のものばかりが気になってしまうのかも…

なかなか難しいですね。

人ってその時の感情によって、受け取り方も感じ方も違ってしまうものなんだよなぁと、改めて言葉で発信することの難しさを感じました。