アラフォーでニートになりました。

アラフォーで会社を辞めさせられ、未来が見えないニート(という名の自営業)が奮闘したりしなかったりするブログです。

週間はてなブログの『「それでも人生は続いていく」。40代からの生き方とどう向き合うか』を読んで感じたこと

f:id:mio_tsukushi:20220404051055p:plain

アラフォーでブログを始めて、もう40代。
世間では「不惑」とも呼ばれる40代ですが、私はこれまでも、今も、人生に迷いまくっています。

と、なぜそんな話をしているかというと

blog.hatenablog.com

こちらの記事に目を通したからです。
中身は40代をテーマにしたブログ(記事)の紹介みたいな感じですが、40代ってどんな感じかなと思われている方も一読してみると、面白いかも知れません。

確かに「年を取ったな…」と感じることもちらほら見えてきました。
私の場合、特に白髪とかシミとかね…
気になることが増えましたね。

とはいえ、そもそも自分の身なりを整えるのにそこまで興味のなかった人間です。
その上、うつ病の身ではお手入れなどもそうそうできません。
日々の暮らしのことすら、上手く回せない人間にとっては、身なりをどうこうするのはとてもハードルの高いことです。

通院に行く前の日になんとかお風呂に入って、なんとか洗濯してある服を着て(前日に用意しておく)、やっと外出みたいな感じ。
食料や日用品を買いに行くのすら、「行かなきゃ」と思ってから数日外に出られないということもザラです。

ADHDなことも相まって、部屋は片付けられないし洗濯物や洗い物は溜まっていく。
ゴミも定期的には捨てられない。
うつ病はいつよくなるか分からないし、ADHDとはずっと付き合っていかなければならない。
その上こんな年になってしまって…と、暗澹たる思いがいつも隣にあります。

それでもまだ、生きてるんですよね。
本当に「生きている」と言えるのか、「ただ死んでいないだけ」でしかないのかという問題もありますが…
ひとまず、私が死んで悲しむ人がいる間は、まだなんとか踏ん張りたいところです。
死ぬための行動にも、勇気が要りますから。
(これは自殺に失敗した人間だから、分かることですね)

先述の記事を見ていてふと思ったのですが、そういえばこの年でうつ病になっている割には、私の感受性はまだ結構生きているのかな、と思うことが時々あります。

雨の匂い、季節の匂い、耳鳴りの中の、夏場などにごくたまに訪れるモスキート音。

子供の頃から変わらない、少し色褪せた感じの夢の中の景色。

これを何かに役立てられたらいいのになぁ、と思います。
何か、ご飯を食べていけるくらいのものにできないのかなぁ、と。

今生きているのは、自分だけの力ではない部分が大きいのです。
それを情けないと思うし、申し訳ないとも思っている。
でも、自分をこうしてしまった社会に対して、黒い感情を抱かずにもいられない。

何歳からでも遅くないと、人は言います。
でも、私が色々なものに押し潰されて、損ねてしまった時間はもう帰ってきません。
少しでも若いうちに、もっと色々と動けていたら。
私は、今のようにはなっていなかったのかも知れない。
それが口惜しいです。

何かチャンスが巡ってきても、今の状態ではいざという時に動けないんじゃないかという不安な気持ちもあります。
まだ、先の見えないトンネルの中にいるのです。

今からでも、これからでも、何かできないかなぁ。
今の状態の私が、どうやったら見付けられるのだろう。