アラフォーでニートになりました。

アラフォーで会社を辞めさせられ、未来が見えないニート(という名の自営業)が奮闘したりしなかったりするブログです。

自分が嫌になった時の対処法 大切なのは、どうにかしてでも夜を越えること。

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これまでどれ程の人たちが、越えられぬ夜に阻まれて終わりを迎えたのだろう?

夜、本来ならば眠るために床に就くと、考えてしまうことがあります。
うつ病は私の場合だと、朝方しんどくて動けず、夕方に近くなると少しずつマシになっていくのですが、夜は夜で色々とよくない思考が頭の底から湧いてくるんですよね。
こんなこと考えちゃいけないと分かっていても、掘り当てられた温泉のように、後から後から出てきてしまう。

それは自分だけではないんだなというのを、様々な方面から目耳にして、自分と同じような思いをしている人を思います。
自分の事ですらままならない私には、そういった方々を掬う余裕も手立てもないのですが……。

夜に考えてしまうネガティブな事に押し潰されて、その命を終えてしまった人も少なくはないのです。
私も時々早く楽になりたい、いなくなってしまいたいと思うこともあります。
今は、実行するつもりはありませんが…
目の前に選択肢がそれしかないと感じてしまうと、もうそこを目指すしかなくなるんでしょうね。
夜ではなく、通勤通学の際に実行してしまう人もいますが…

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私がしばらくの間、自殺するのはやめようと思ったのは、自分が死んだら母が悲しむと知ったからです。
こんな風にうつで通院が必要になるよりも前(実際には祖母が入院して亡くなった頃から、関係はいい方へと向かってはいたのですが)、私は可能な限り母とは関わらないように生活をしてきました。
車で30分くらいの距離があるので、自転車しか足がない自分にはそう難しいことでもなかったです。
最低限の連絡のみで、困った事があっても頼らない。
できる限りはそうして、離れて暮らすのがいいと思っていました。

母の事は嫌いではないけれど、子供の頃は憎く思うことがしばしばありました。
知らぬ間に養父と再婚することが決まっていたり、その養父の悪い性癖に対してスルーし、子供が傷付くことに鈍感だった事。
私には厳しく当たるくせに、弟が同じ事をしても容認していた事。
他にも色々と理不尽な思いをして尚、慕うことは出来なかったのです。

そして、うるさい家だったなと振り返って思います。
養父が地響きがするような低い大きな声で騒ぎ、幼い頃の弟や妹の声もノイズとしてかなり負担になっていたんだなと、今静かな生活をしていると理解できる。

進学に合わせて祖父母の家に移った時には、これでうるさくて嫌な家族から離れられると思ったのですが、祖父がまた自分の思い通りにならないと怒鳴る人で。
うるさくする人数は減ったものの、滅入る気持ちは変わりませんでした。

まぁ、そんなこともあって、あまり関わりたくなかったんですよね。
元々お祖母ちゃんっ子で、自殺を試みて失敗したことを打ち明けられたのも祖母にだけでした。
その祖母ももうおらず、自分の生への意味付けもより後ろ向きなものに変わっていったのだろうとも思います。

ともあれ、そんなこんなで親とは疎遠気味だったのですが、自分が仕事を解雇されて病気になって、自分ひとりでは出来ないことを手伝って貰わなければならない、という状況でやっとまあまあの関係になれたのかな…
(私の方が助けて貰っている側で、申し訳ない気持ちもあるのですが)

今、通院を手伝って貰う他では、母とは用がある時だけSMSでのメッセージのやり取りをしているくらいです。
そこでとても状態が悪く、身近なところでトラブルを抱えている時に私の辛さや「死にたい」という思いを吐露したことがありました。
その時他の返信の間に「悲しいよ」という言葉が送られてきて、その時初めてあれ、お母さんは私が死ぬと悲しいんだ、と認識できたのです。

そうか、自分が死んだら悲しむ人がいるんだ。

そんな風に感じただけで、私の中の何かが少し、変わったようでした。
どう転んでも「死にたい」「消えてなくなりたい」という感情は消せないかも知れない。
けれど、母が悲しむのなら、少なくとも母が生きている間は私も命を絶つことはやめようと思ったのです。

苦しくてしんどい気持ちになる夜は、あの時の事を思い出します。
自分が死んだら、母が悲しむんだと。
それで症状が緩和される訳ではないけれど、衝動的に死ぬような行動を取ってしまわないようにと、最後の部分で自分を制御するストッパーのようなものができたのかも知れません。

私と同じように夜に苦しんで、命を絶つことを選んでしまいかねないくらい追い詰められている方は、直近で自分が関わった人のことを思い出してみたらどうでしょうか?
親でなくてもいい、友人でなくてもいい。
ご近所の方や、かかりつけのお医者さん、買い物に行った時レジ打ちしてくれた店員さんでもいい。
大抵の人は、自分が顔を知っている人や多少なりとも関わった人が死んだ時ショックを受けたり悲しんだりするものです。

もしこの人は悲しまないだろうというよな人であっても、誰かを思い浮かべて、その人たちが悲しんでいる様子を想像してみる。
それで少しでも、実行に移す気持ちが薄れてくれたら、なんとか夜が通り過ぎていくのを堪えられないだろうかと思うのです。

朝が来ればまただるい、気力のない状態になってしまうかも知れないですが…
そうして辛い夜を乗り切って欲しいなと思うのです。

願わくば、辛い思いをしている方々の眠りが安らかで、穏やかなものでありますように。
朝起きた時に、少しでも清々しい気分になれますように。